訳者あとがき
半年ほど前に『インタフェースデザインの心理学』という本を翻訳しました。ウェブページやアプリのデザインについて、心理学的な観点からアプローチした本で、古今東西の心理学研究の成果を100のトピックにまとめて、わかりやすく解説してあるものです。なかなか好評で、ウェブやアプリのデザイナーや開発者だけでなく、一般のオフィスワーカーの方々にもお読みいただいているようです。
この本、題材は「インタフェースデザイン」ではあっても「具体的にどうデザインすればよいか」を解説した本ではありません。技術者以外の方にも読みやすく、おもしろい本ではあるのですが、開発者やデザイナーにとって「今日すぐ役に立つ」という内容ではありませんでした。「こういう心理学的な事実があるので、こういうことを心がけておいたほうがよい」という内容なのです。すぐ役に立つとしたら、クライアントに「なぜこのデザインを選んだのか」を聞かれたときに、「人間にはこういう傾向があることが心理学的な研究からわかっているので、こうしました」といったような理由(言い訳?)を言うときぐらいでしょうか。「体質改善」にじんわりと効いてくる漢方薬のような本といえるかもしれません。
「もう少し実践的な本も欲しいな〜。ウェブサイトやアプリを開発するときに、直接役に立ちそうなものが」と思っていたときに、Pragmatic Bookshelfから、『インタフェースデザインの実践教室』の原書『Designed for Use』が出版されました。
職業柄、まず「文章のユーザビリティ」というタイトルの6章に注目したのですが、これが面白い。最初のほうを見ると「文章はインタフェースデザインの重要な要素である」「よい文章はよいデザインである」などと書いてあります。「たしかに、そのとおり」と思って読み進めると、今度は「文章は読まれない」と来ました。「じゃあ、どうしたらいいんだ」と思いながら先を読むと、著者の持論が説得力のある例とともに提示されていきます(ちなみに、この6章の参考書にあげられていたスティーブン・キング著、池央耿訳『小説作法1)』も、読み始めたら止められなくなって、翻訳の最中だったにもかかわらず最後まで読んでしまいました)。
話が具体的で非常にわかりやすいのですが、その裏には著者の豊富な経験があるようで、どの章を読んでも「なるほど」とうなずかされる内容になっています。具体例をあげて明解に説明してあるので、納得させられてしまうのです。とくに章の冒頭に電球マークのついている「アイディアの章」の内容は、初心者はもちろん、経験豊富な方にとってもアイディアとしておもしろいものがたくさんあるのではないかと思います。
歯車マークのついている「テクニックの章」はきわめて実践的です。本の冒頭の「賞賛の声」に、エバーノートの方が「UXデザインの最初から終わりまで、すべてがわかる百科事典のような本」という声を寄せていますが、まったくこの言葉どおりで、ユーザービリティテスト、カードソート、ペルソナなど、この分野で広く使われているテクニックが、これも具体的に、そして原著者の経験から得られた留意点とともにわかりやすくていねいに説明されています。
「漢方薬」の『インタフェースデザインの心理学』同様、この本にも1行のプログラムも登場しませんし、細かなデザインのテクニックの紹介もほとんどありません。しかし開発者やデザイナーにとっては、「即効薬」の役割もしてくれるのではないかと思います。どんなシステムでどんなツールやプログラミング言語を使ってどんな製品を作る人にも、読んだその日から役に立つ事柄が満載の1冊です。
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1冊の本を長い時間をかけて訳していると、著者がどのような人か、どんな性格の人かなんとなくわかるような気がするときがあります。この本の著者のルーカス・マティスさんは、スイス在住の開発者ですが、実直そうな時計職人を親にもつ技術者かなという感じがしました。自分がこれまでいろいろな製品のインタフェースデザインをして獲得してきたテクニックや知見をコツコツとていねいに語っている印象です。
母国語ではない英語の文章を300 ページも書くのはとても大変な作業だったことでしょう。その思いを感じつつ、著者の意図するところをしっかりとくみとるよう編集者の方とともにていねいな翻訳を心がけました。読者の皆さんの日々の作業のお役に立てれば幸いです。
2013年3月
訳者代表
マーリンアームズ株式会社 武舎広幸
1) 『小説作法』(池央耿訳)の "10th Anniversary Edition" が、『書くことについて』(田村義進訳)という別のタイトルであらたに発売されました(2013年12月追加)。