マーリンアームズ株式会社

DHC翻訳若葉荘「本日の講義」

第18回  翻訳を科学する その10 重複を科学する その2(2006年9月配信)

「バッッシャ〜〜〜〜〜〜〜ン」
「ウォー〜〜〜」

20年ほど前のある日、米国に滞在していた私たち夫婦は東部ボストンの観光を終え、レンタカーを南に駈ってケープコッドを訪れました。「ボストンに行ったら、絶対にホエールウォッチングよ。いいわよ〜」という日本人の友人Tさんの助言に従って、鯨見物に出かけたのでした( http://www.marlin-arms.com/jpn/column/wakaba/200609map.html に周辺地図を置きましたのでご覧ください)。

米国も日本と同じで、田舎に行くとみんなが気楽に声をかけてくれます。25セントコインを次から次へとパーキングメーターに入れていた我々を見て、中年の女性が声をかけてくれました。

「ここの駐車場は午前中は無料よ」
「クジラ見に行くんで、午後3時ぐらいまでかかるんですよ」
「ああ、そうなの。それなら、コイン入れておいてもいいかも」

雰囲気からすると、午後も無料で止めておけそうだなとは思ったものの、面倒なことになるよりはと「ギーコ、ギーコ」とネジを巻くように20個ほどコインをいれて、駐車場を離れました。

チケットを買っていざ乗船。東洋人らしき人は我々ふたりだけ。ガイド役の人が名簿に書く我々の住所をちょっと注目して見ていたようでしたが、当時の米国の住所を書いたため拍子抜けの様子。

一時間半ほど、大西洋の海原を東に進んだのでしょうか。見えました。冒頭の「バッッシャ〜〜〜〜〜〜〜ン」「ウォー〜〜〜」は鯨が尾ビレで海面をたたく音と、船上であがった歓声であります。

さてさて、鯨見物の話題だけで講義を終わるわけにはいきませんので、他の方のお力を借りましょう。この先の様子を知りたい方は http://www.izu.to/aorc/pub/ogu/ny/2003/ny30803.html の「8月6日(水)」の項をご覧ください。臨場感溢れる体験が綴られております。ちなみに、最近では小笠原や高知、沖縄などでも鯨見物ができるようですので、皆様も機会がありましたら是非どうぞ。

なぜ、鯨見物の話題が登場したかといいますと、我々は今、鯨関連の仕事をしているからであります。お盆前に10年間やりとりのなかった大学時代の友人から「納期の短い仕事があるのだけれど、何とかなりませんか」というメールが突然飛び込んできました。検索エンジンで私の名前を探して連絡をくれたようです。DHC-オンライン講座の修了生の皆さんにもお手伝いいただいて突貫工事、なんとか納期までに終わりそうです。

この仕事で、改めて思ったのが翻訳は面白いという事実です。何が面白いかというと、翻訳をすると自分の世界が広がるということです。しかもこれがお金をもらいながらできる。悪くない商売であります。研究者も同じような感じですが、一度決めたらなかなか他のことはできません。翻訳だと、クライアント次第ではありますが、何が飛び出してくるかわからない楽しみがあります(そう考えると、私向きの仕事かもしれません)。他の仕事も並行してはいたのですが、太平洋をゆったりと泳いでいるような気分の毎日でした。

最近はコンピュータ関連の本が多かったので、未経験の分野の翻訳をやってまったく新しい知識を得るということが少なかったのですが、久しぶりの知的興奮を味わいました。人間、新しいことを知ると人に言いふらしたくなります。「聞いて、聞いて。知ってた?」と言う心境であります。

  • 鯨は、ご存じのように哺乳類なのですが、ウシ、ラクダ、カバなどが親戚筋にあたる(考えてみると、鯨は一旦海を離れて陸で生活してから、また海に戻ることを「決断」したのですね。この間に何千万年という月日が流れているわけですが……)
  • 魚は横方向に尾を動かして進むが、鯨は縦方向に尾ビレを動かして進む
  • 鯨によっては餌場と繁殖場の間を、1年間でなんと数千キロメートルも回遊するのですが、その原因はどうやら大陸が移動したためらしい。大陸が移動する前は、餌場と繁殖場はそれほど遠くなかったが、徐々に徐々に離れていって、ついには数千キロも離れてしまった!
  • 鯨の仲間の中には、「人間とは仲良くしても大丈夫そうだ」といった種類の情報を他の仲間に伝えているものがいるらしい
  • 元大関朝潮(現高砂親方)のお父さんは、昔、捕鯨をやっていたのだけれど、ホエールウォッチングの案内役になった

「へ〜」ボタンを18回押したくなったり、「ホント〜」「そういえば、そうだね」とうなずいたりしていただけましたでしょうか?
閑話休題。広々とした海原から、いきなりせせこましいコンピュータの世界に戻りますか。

本題に入る前にひとつ皆さんにお知らせです。以前、DictJuggler(ディクトジャグラー)という辞書引き・検索ソフトを作ったことをお話ししました。これはMacintosh用だったので、多くの皆さんにはご利用いただけませんでしたが、この度、Windowsでも動くものを作りました。同じ機能を持つようにするのは大変なので少し縮小版ですが、翻訳者の皆さんにはお役に立てるのではないかと思います。ご興味をお持ちの方は製品ページをご覧の上、ご利用ください。

さてさて、前回の講義の話題は「重複」でした。宿題になっていた最後の例をもう一度思い出してみましょう。

Google Inc. told analysts more than it wanted last week.

The Internet search giant said Tuesday that it inadvertently disclosed its closely guarded financial projections and also said it let slip information about a personal, digital storage service that is in the works.
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2006/03/08/GOOGLE.TMP

第2段落の冒頭の文の冒頭を「(その)インターネット検索の巨大企業は…」としては翻訳としては×であるというのが私の主張でした。最初の文をあまり凝らずに訳してみると、たとえば次のようになります。

先週、グーグル社はアナリスト向けに必要以上のことを語ってしまった。

これに続いて、たとえば次のような文が来たらどうでしょう?

インターネット検索の巨大企業は、火曜日、非公開にしておくべき財務予想を不注意により公開してしまったことを明らかにし、...

これだと、「インターネット検索の巨大企業」が何を指すのかよくわかりませんよね? 突然、別の会社の話が登場したかのように読めてしまいます。原文では「The」があるので、Googleのことを意味していることは明らかなのですが。

それでは、次のように「The」に対応する「その」を単純につけたらどうでしょう。

そのインターネット検索の巨大企業は、火曜日、非公開にしておくべき財務予想を不注意により公開してしまったことを明らかにし、...

これだと、Googleのことを言っているのだと言うことは明快になります。その点では最初の例よりも良い訳だと言えるでしょう。しかし、普通の日本語のニュース記事でこんな書き方はしませんよね? 「そのインターネット検索の巨大企業は...」などという間接的な、まどろこしい言い方はしないのです。

私ならば、たとえば「同社は火曜日、非公開にしておくべき...」「インターネット検索大手の同社は火曜日、...」などとするか、あるいは冒頭の文と合わせてしまって「インターネット検索の大手グーグルは、火曜日、非公開にしておくべき財務予想を、アナリスト向けに誤って公表してしまったことを...」などとしたくなるところです。日本語でも「グーグルは...グーグルは」とするのはうるさい感じがするので、その当たりは工夫して訳す必要があります。

ちなみに、原文を読み進むと次のような文も出てきます。この段落の冒頭の「The Mountain View company」も類似の表現です。同じくGoogleのことを指しているのですが、重複を嫌って(あるいは変化をつけるためと言った方がよいかもしれませんが)別の表現を使っています。

The Mountain View company acknowledged the financial gaffe in a regulatory filing with the Securities and Exchange Commission, saying the unintended notes revealed a projection that advertising revenue will grow to $9.5 billion in 2006, up 58 percent from the previous year.

こういった、別の形容を使った言い換えは英語ではとても頻繁に出てきます。先ほど、ニュース記事を読んでいたらもうひとつ見つけてしまったので、ついでにご紹介しておきましょう。

Like all other Macs introduced this year, the Mac Pro uses microprocessors from Intel Corp. rather than Apple's previous suppliers, IBM Corp. and Freescale Semiconductor Inc. It's also capable of running Windows if you've got a copy of the Microsoft Corp. operating system and supporting software from Apple or others.
http://www.newsfactor.com/story.xhtml?story_id=010000KUFYH4

Google、Apple、Microsoftと話題のコンピュータ関連企業がそろい踏みという感じですが、この文で問題にしたいのは、最後の方にある「the Microsoft Corp. operating system」の部分です。単純に訳すと「そのマイクロソフト社のOSのコピーとアップルやその他の企業が提供するソフトウェアがあれば...」ですが、日本語のニュース記事ならば絶対にこのようには書きません。「the Microsoft Corp. operating system」は少し前にあるWindowsのことを指していますので、こう日本語に直してしまうとWindowsとは別物のような印象を受けてしまって原文の意図が伝わりません。「Windowsを繰り返すのを嫌って別の表現を使っているのだな」ということを読み解くことができれば、読者に誤解を与えるような訳を避けられるのです。翻訳をなさっている方なら、これからもたくさん出会うはずです。しっかりと覚えておいてください。「重複を避けるための言い換え、変化をつけるための言い換えに要注意!」

最後に、前回の宿題について簡単にご説明しておきましょう。以下の文で気になる重複表現を見つけるのが問題でした。

  1. この種のシステムは商用のセキュリティ関連製品としては比較的新しいもので、パッケージ化された製品ではまだ誤報が非常に多く、有用なものは多くはありません。
  2. そのような事態になってから、あわててパッチを出すのですが、最初からセキュリティを考慮して設計する方が望ましい考えであるということには考えが及びません。(*ここでいう「パッチ」とは修正用のプログラムのことです)
  3. 本格的なテストをユーザーに任せてしまうという状況さえ珍しくありません(時にはバグを発見したユーザーに金銭的な報酬を与える場合さえあります)。

1.では「多く」、2.では「考え」、3.では「さえ」が重複しています。いずれもどちらか、あるいは両方を違う表現に変えた方が、抵抗を感じる人が少なくなるでしょう。

日本語と英語、どちらもある種の重複を嫌うという傾向はあるようですが、その回避方法は一様ではないのです。英語に引きずられて日本語では意味のわからない表現、不自然な表現にならないように注意しましょう。

信州にある私の実家から、巨峰とリンゴが送られてきた上に、親戚から義父のお見舞いにメロンがやってきて、今我が家には、デラウェアに巨峰、マスクメロンに津軽、それに豊水とさまざまな果物が重複しています。でも、こういう重複は大歓迎。ということで、太りすぎに注意して、実りの秋を満喫いたしましょう。それでは、また次回。

 


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